2016年05月21日(土) 「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方 なのだろう」マルコ4:41
「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方 なのだろう」マルコ4:41
「向こう岸へ渡ろう」との主の指示で、舟を漕ぎ出した中で、弟子 たちは死にそうなほどの嵐に会った。向こう岸に渡らないで、岸に とどまっていれば、会わなかった。つまり、御心に従う中で、主に 従う中で、嵐に遭遇する事がある。 そして、弟子たちは大嵐の中で、悪戦苦闘し、舟は波をかぶり水で 一杯になった。転覆してしまう。必死な弟子たちは、ともの方で熟 睡の主を起こし「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われな いのか」と。助けを求めているというより、不満をぶつけているよ うだ。屈折したような言い方だ。しかし、主はそんな弟子たちを顧 みて、起き上がって、風をしかりつけられた。 湖に「黙れ、静まれ」と言われると、風はやみ、大なぎになった。 風のほうを叱りつけ、そんな弟子たちを大嵐から救って下さった。 そして「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どう したことです」と、嵐ではなく、不信仰が問題だと教えられた。 私たちも、嵐により信仰が試される。しかしどのようであれ、弟子 たちを助け出されたように、私たちも救い出して下さる。弟子たち は大きな恐怖に包まれた。風や湖まで支配される、自然界をも支配 される方であることに驚いた。嵐に会った事で、主が神であること を、目の当たりに見せられた。私たちも主に従う中で、嵐に会うが、 嵐を通しての大きな恵みが備えられている。 ・・・・・・・・・・・ 主のひと言葉で、荒れ狂う嵐が、大なぎになってしまった。私たち の心の思い煩い、恐れ、不安の嵐も、主の言葉で、なぎになる。嵐 には会いたくないが、嵐を通して自分の内側があらわにされ、又、 主がまことの神であることを経験して行く。