2016年07月21日(木)

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます」詩篇139:1

                       
ある妻の証しがあった。夫がギャンブルにのめり込み、生活費にま
で手を出す。喧嘩が絶えない。毎日大喧嘩の日々だった。すると更
にひどくなり給料を全部使い、更には前借りするまでになった。生
活できず、妻は子供を連れ、家を出て実家へ。夫婦破綻で、家庭崩
壊ではないかと、妻は悩み苦しみ、食事もできず悶々の日々だった。

わらにもすがる思いで教会へ。御言葉を学ぶ中で、心が刺された。
確かにギャンブル狂いの夫は見るからに悪。自分は善人で被害者。
しかし自分は夫を見下し、裁き、軽蔑し、責め立てるばかりだった。
その事が更に夫をギャンブルへと追いやっていた事を示された。夫
の気持ちはどんなものだったろう。

自らの高慢を涙ながらに悔い改め、夫にも詫びた。夫婦仲が建て直
され、家族に笑顔が戻った。対人関係の問題で、相手に確かに非が
ある時に、なかなか気づけず見えない。相手が悪いとしか見えない
からだ。悪いのは相手であり、自分は悪くないどころか、被害者だ。
自分に平安が無く、喜びも無く、心が苦しいのは、悪い相手のせい
と。

自分が辛くしんどいので、更に相手を憎んでしまう。御霊の光に照
らされて初めて気づかされる。平安が無いのは、相手を憎み、裁い
ているためと。相手に非があるため、そこに隠れて自分の内側に気
づかない。自分の問題と気づく時に解決が来る。
-------------
自分の事は自分が一番わかっているようで、肝心なところはわかっ
ていないのではないか。様々な葛藤は、隠れている何かに御霊の光
が届くチャンスかも知れない。