2016年08月21日(日)

「あなたのみこころを行なうことを教えてください。あなたこそ私 の神であられますから」詩篇143:10



ヘロデ王は教会を迫害しヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人の気
に入ったのを見て、次にはペテロに手を伸ばした。実際ペテロを捕
らえ、処刑しようとした。だがペテロは、御使いによって牢から救
い出された。奇跡が起きた。「教会は、彼のために神に熱心に祈り
続けていた」の答えだった。

教会ではヤコブの時も、ペテロの時も同じように熱心に祈った。し
かしヤコブは処刑され、ペテロは救出された。「なぜ?どう違うの
か?」と思う。これはヤコブにはヤコブの、ペテロにはペテロの、
神のご計画であり、召しだ。ヤコブは殉教により神の栄光を現わし、
ペテロは生きて、宣教の使命が与えられていて、それによって神の
栄光を現わす事となる。

ヘブル11章にも、ある人々は「ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、
剣の刃を逃れ、強くされ、戦いの戦士となり、陣営を陥れた」と奇
跡、奇跡で、勝利して行った。そして又ある人々は「牢に入れられ、
石で打たれ、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、乏しくなり、苦
しめられ」と殉教した。結果的には正反対のどちらもが「信仰によ
って」歩んだ。

パウロは「生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストがあがめ
られること」を求めた。一人〃に与えられている神のご計画が全く
異なる。人は関係無く、神から自分に与えられた人生、自分への御
心を全うする事が、最大の喜びの道だ。神と自分の関係がすべてだ。

・・・・・・・・・・・・・
人と、自分への主の御心は全く異なる。境遇も賜物も異なる。「あ
なたは、わたしに従いなさい」の通り、横ではなく上を見て、一歩
一歩、自分への主の導きに従おう。御霊は一歩一歩を助けて成し遂
げさせて下さる。目の前の一歩に従おう。