2016年11月20日(日)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる 祈りと願いによって、あなたがたがの願い事を神に知っていただき なさい」ピリピ4:6


私たちは、思い煩いによく襲われる。なぜ思い煩ってしまうのだろ
う。そんな時は、自分が、自分の力で何とかしようと思っている。
そうなら、何もかもが自分の肩にかかってくる。それは負いきれず、
どうにもできないので、思い煩うことになる。この目の前の問題、
あの対人関係、仕事の事、経済的な事、将来の事・・自分の能力を遙
かに越えている。そのために思い煩う。

そして思い煩うと、最悪のシナリオを描いて行く。こうなって、あ
あなってと、どんどん悲観的な方向に思いが傾く。そこにサタンも
働いて来る。心は、重く暗く沈む。その時、主も、御言葉も飛んで
しまい、目の前の状況に飲み込まれてしまっている。落ち込んでし
まうが、そんな時、その状態を自分で何とかしようとせず、そのま
まを祈って行こう。

「心が沈んでいます」「落ち込んでいます」とありのままを主に告
げて行く時に、心が変えられて行くから不思議だ。とにかくどんな
時も、祈りにもって行くことだ。祈れない時は「祈れません」と告
げて行けばよい。「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り
除かれるのです」

主に向きさえすれば、導かれて行く。祈りとは、主に向くことだ。
主に向く時、我に返る。ご計画があること、益とされること、愛さ
れていること、災いではなく平安と将来と希望のためのものである
こと、今一度、御言葉に立てて行く。その時、視点が変えられる。

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思い煩っている時は、主が飛んで、自分が何とかしようと思ってい
る。荷は、ずっしりと重く沈み込んでしまう。「神に知っていただ
きなさい」状況も気持ちも、ありのままを告げよう。すると、とに
かく、神に知っていただいたとの平安と安堵が拡がる。