2016年12月21日(水)

「イエスは身を起こして言われた。『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい』」ヨハネ8:7


 パリサイ人や律法学者達が、姦淫の場で捕えた女性を引きずり出
した。そしてその女性を利用して、主を罠にかけようと画策した。
愛のかけらもなく、何と冷淡な事だろう。「律法では石打ちの刑だ
が、あなたはどうするのか」と主に詰め寄った。

主は答えられず、だが彼らが問い続けて止めないので、「あなたが
たの内で、罪の無い者が、最初に石を投げよ」と言われた。すると、
一人また一人と、全員が出て行き、誰も石を投げる者がいなかった。
彼らは、自分の内側を見た。そして、罪を認めたのだ。

内側を照らされ、真実が現わされ出ようとしていた。チャンスだっ
た。自分の姿に正面から向き合う事ができた。しかし、又、逃げる
事もできた。その時、彼らは逃げ去った。主に導かれて、自分の罪
を見たのに、向き合おうとしなかった。だが、女性は逃げずに、そ
のままそこにいた。

裁きからも逃れようとせずに、今からどうなろうと、主のもとにと
どまった。周囲皆の冷ややかな、見下した裁きの中、主の愛を全身
に感じた。その主の愛に身を委ねた。その時「あなたを罪に定めな
い」との赦しを受け取った。主の十字架のゆえだった。私達はどう
だろう。

御霊に照らされた罪を認め、悔い改める時、赦される。真に救われ、
新しい歩みを始めて行ける。目をそらすなら、闇の中であって、ま
すます見えなくなる。罪がわかるなら、御霊の光による。悔い改め
て、新しい歩みに入ろう。
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本当の自分が見えていることが祝福なのに痛い所は目を逸らそうと
してしまう。主の御愛を受けとり、御霊に照らされたなら示された
罪を悔い改めよう。生涯変わり続けていきたい。