2017年07月21日(金)

「しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」マタイ6:32


「明日のための心配無用」と言っている。これは将来に備えたり、
計画したりするなという事ではない。雨の日のための準備は大切だ。
しかし不安や思い煩いは全く必要無いと。私たちの心配は、「もし
〜」から来ていないだろうか。もし、ああなったら、こうなったら、
「もし病気になったら」「もし失業したら」「もし経済的に困窮し
たら」幾つもの現実ではない亡霊の「もし〜」で思い煩い、恐れて
いる。

しかし「空の鳥を見よ、野の花を見よ」と。種蒔きもせず、刈り入
れもせず、倉に納める事もしない。だが見事に養われている。野の
ゆりは、働きも紡ぎもしない。しかし綺麗に装われている。まして
や、私たちを天の父が養われない事があろうか。天の父は、あなた
の必要を知っていると。何と平安な事だろう。今、目の前に思い煩
いがあるだろうか。

仕事の問題や、対人関係の悩み・・なぜ、人は思い煩うのだろう。
自分の思い込みによっていないか。明日はこうなり、将来はこのよ
うになり・・と勝手に思い込んでしまう。ネガティブに、悪い方に
考え、ああでもない、こうでもないと、心が分割、分裂してしまう。
思い煩いとは心が分裂する事だ。分裂状態から、心が定まる事が必
要だ。それが「神第一」だ。

主を第一に求め、そこに心を定め、自分を主に委ねて行く時、あれ
やこれやの思い煩いから守られる。そして「そうすれば、それに加
えて、これらのものはすべて与えられます」神も、生活の必要も、
どちらも与えられる。
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まだ見えていないものは不安で恐い。だから心に主を据えてネガテ
ィブに流される「もし〜」を信仰に置き換えよう。主は心を配って
くださる。今日も明日もだ。心を定めよう。