2017年10月21日(土)

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があな たがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7


私たちは、悩みや問題にぶつかる。その問題は壁のように、目の前
に立ちはだかる。ああでもない、こうでもないと悶々とし、思い煩
い、その問題に飲み込まれ、囚われてしまう。その最中は、出口の
無い真っ暗なトンネルの中のように感じる。暗闇で何も見えない。
必ず出口があるのに、光が全く見えず、暗闇が永遠に続くように思
える。

苦しくてたまらず、祈るのだが、とにかく苦しみから逃れたいばか
りだ。この苦しみが無くなって欲しい、助けて欲しいのみで、すぐ
に解決をと、もがく。この辛さを何とか取り去って欲しい一心だ。
主に委ねる事だとわかるのだが、頭だけで、一番の問題は委ねられ
ないという事だ。委ねられない、頑なな自我がある。

ある人が苦しい状況に陥り、頭では委ねる事が大切とわかる。そこ
で「委ねます」と祈る。何だか心が楽になった気がする。しかしす
ぐに、ああでもないこうでもないと、悶々と対策を考えている。気
持ちは重苦しい。そこで再度「委ねます」と祈る。しかし思い煩い
は去らず、胸の苦しさも消えない。それを繰り返す中で、初めて自
分は委ねる事が出来ないのだと悟った。

握り締めていて、決して放せない。それで「どうしても委ねる事が
できません。助けて下さい」と祈った。そう祈った時に、今まで
堂々巡りだったのが、委ねる事ができた。すると胸が楽になり、そ
の後、問題解決の糸口が見つかった。

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委ねることが出来ない事が問題だ。頭では委ねますと思うのだが、
頭だけの話で、頑なな自我がしっかりと握り締めて放さない。本音
は、明け渡したなら、すべてがダメになると思っている。だから自
分が握り締めている。出来ませんと祈ろう。主が働いて下さる。