2017年11月20日(月) 「しかし、主はヨセフと共におられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた」創世記39:21
「しかし、主はヨセフと共におられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた」創世記39:21
ヨセフは、兄たちの悪意により、エジプトへ売られた。父親がヨセ フを特別扱いし、偏愛した事により、兄たちの強い妬みを買ったの だった。ヨセフは一人異国の地に追いやられ、家族と離れ、どん に恐れと不安にさいなまれた事だろう。しかし、エジプトの地で、 奴隷として「忠実に」主人に仕えた。そこに「主がヨセフと共に おられた」。 そして、主が、彼のする事すべてを成功させて下さった。ここで学 べるが、私たちはどんな境遇になろうとも、そこに主が共におられ る。主と共に歩める。私たちは、辛い環境から離れたいと思うが、 主が共におられるなら、その所で、周囲の人々への祝福とされて行 く。主人は彼の忠実に仕える姿を見て、彼に信頼を寄せ、全財産を 委ねた。 しかし次の試練が襲い、主人の妻の悪意により、無実の罪で、投獄 の身となった。奴隷よりも尚も悪い、囚人となってしまった。しか し、そこでも「主はヨセフと共におられ」た。恵みを下さり、監獄 の長の心にかなうようにされた。すべて主による事であった。ヨセ フは監獄でも、「忠実」であった。そのためすべての事を管理する ようになった。 主はどんな状況下でも共におられる。今の境遇に主を認めよう。そ してヨセフは苦しい境遇でも、腐らず、投げ出さず、そこに主を認 め、常に忠実であった。主は「忠実」を喜ばれる。思い通りでない 状況にも、そこに主を認め、忠実である事ができるよう祈ろう。大 きな祝福が待っている。 -------------- どんな境遇の中でも、そこに主を認めるなら希望が生まれる。偶然 は一つもなくそこに置かれる意味があり、何処にいても主にある自 由がある。主と共に忠実に歩もう。