2018年01月21日(日)

「立て。民をきよめよ。そして言え。あなたがたは、あすのために 身をきよめなさい」ヨシュア7:13


モーセの死後、ヨシュアをリーダーに、ヨルダン川を渡り、大きな
奇跡を経験し、更にエリコの城壁が目の前で崩れるという、大勝利
を民は見て来た。そしてヨシュアはアイに偵察隊を遣わした。偵察
に出た人々は戻って来て「彼らは僅かなので、二、三千人で大丈
夫」と言った。

そこでヨシュアは三千人を出したが、見るも無惨な敗北だった。思
ってもみない現実に、民の心はしなえ、水のようになった。勝利に
次ぐ勝利で進軍して来て、勝利を疑わなかっただけに、ショックを
受け大きな動揺であった。大いなる神が共におられる、ただその事
がヨシュアの拠って立つところだっただけに、敗北の事実が、それ
らをなし崩しにしてしまう。

主の御名はどうなるのか。敵の前で、この敗北はどうなるのか。ヨ
シュアは「なぜですか」とひれ伏し祈った。「大いなる御名のため
に何をなさろうとするのですか」と。しかしその「大いなる御名」
こそがこの敗北を与えられた。全能の神は、同時に聖なる神だ。
「聖さ」に関心を持たれ、罪のあるところに働かれない。

聖く無い所では、敗北の方が神の栄光が現れる。妨げは神の側でな
く、民の側にあった。アカンの罪が発覚した。その罪が取り除かれ
た時、再びアイに上り、神は勝利を与えられた。私たちにはどんな
時にも、主の血潮がある。主のもとへ行き告白しよう。主は完全な
赦しを与えて下さり、心に平安が戻り、再び、前に進んで行ける。

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何か平安が無ければ、立ち止まって、御霊に心を探っていただこう。
主との交わりにより、矯正が必要なら導いて下さる。自分の思いで
歩んでいたり、又、思い煩いがあるのかも知れない。内側にあるも
のに気づかせ、平安へと導いて下さる。