2018年03月21日(水)

「エリは答えて言った。『安心して行きなさい。イスラエルの神が、 あなたの願ったその願いをかなえてくださるように』」Tサムエル 1:17



当時、イスラエルは士師の時代であり、霊的には、真っ暗闇であっ
た。人々は主の目に悪を行ない、めいめい自分が正しいと見える事
を行なっていた。神無しで、自分の思いを通し、自己中心に生きて
いた。偶像礼拝もはびこっていた。神は、そこに、新しい霊的指
導者を起こそうとされた。そのために神はハンナを用いられた。

「主がハンナの胎を閉じておられた」とあり、ハンナの祈りを引き
出すためだった。ハンナは不妊の辛さ、ペニンナのいじめ、周囲の
偏見による苦しみ、何より、なぜ神は与えて下さらないのかという
苦しみで悶々としていた。それらをことごとく祈りに持って行った。

主に向かい、心を吐き出し、感情もぶつけ、涙ながらに一心に祈っ
た。その中で「男の子を授けて下さったなら、その子の一生を主に
お献げします」とすべてを明け渡す決心へと導かれた。その時、泣
いて食事もできなかったハンナが、祈り終えた時、帰宅して食事が
できた。号泣し、悩みと憂い、いただちの以前の顔ではなかった。

平安になり、心すっきりしていた。私たちも祈りによって、いつも
経験する。苦しい状況で主に心を注ぎ出して祈る時、状況が変わら
ずとも、自分の内側が変えられる。御父に自分を委ねるので、主か
らの平安が与えられる。

今、何かの閉じられた状況にあるなら、あるいは祈りを用いて、開
こうとしておられるのかも知れない。ハンナのように、主に向かい、
感情も主に持って行き、心の何もかもを打ち明け祈ろう。明け渡し
て行った時に、ハンナの祈りは答えられ、子供サムエルが与えられ
た。サムエルは祈りにより産み出された霊的指導者だった。

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祈りは主との交わりであり、思いも感情も喜びも痛み悲しみも知っ
て頂ける。主に知って頂けたことで安心する。自分自身も事態も明
け渡して行く時に、良いお方が最善をして下さると信じられる。仮
に思い通りでなくとも、心に平安が来る。