2018年11月20日(火)

「おいでになるはずの方は、あなたですか、それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」マタイ11:3




バプテスマのヨハネが、ヘロデ王の不法を真正面から間違っている
と指摘した。そしてその結果、投獄された。ヨハネは正しい事をし
た。神は正義なるお方、自らの投獄は理不尽であり、それこそ不法
だ。何の罪も犯していない。神の御前に誠実に歩んだのであり、主
が正しい対処をして下さるはずと思ったに違いない。

しかし投獄されて、幾日が過ぎても、何の音沙汰もなく、何も起こ
らない。イスラエルの王国を打ち建てられ、王となられるのではな
いのか。正しい事をされるお方ではないのか。自分が思っていた義
なる方、力を持って裁く方であるメシヤ像と弟子たちから伝え聞く
メシヤ像がかけ離れていた。

それで、弟子たちに主に「おいでになるはずの方は、あなたですか。
それとも別の方〜」と問わせた。主はその時に、弟子たちに答えと
して、「自分の聞いたり見たりしていることを報告せよ」と言われ
た。目の前の「事実」を告げよと。「盲人が見、足なえが歩き、死
人が生き返り〜」これらは、救い主到来の時の預言であり、預言が
成就している。まさに証拠だ。メシアにしか誰にも出来ない事だ。

ヨハネが自分でわかる事が必要だった。人に幾ら説得されても、自
分で受け取ならない限り、納得はできない。自分で御言葉を真剣に
受け止め、真摯に向き合い、事実を認める時に、御霊の助けがあり、
真理がわかるようにされる。預言が正しく成就している事に思いが
至る。私たちも自分の思い、自分の知識、先入観がある時、神が見
えず、物事を正しく捕らえられない。

神の御心と自分の思いが異なる時、つまずくのだが、自分の思いを
除いて行く時に、正しく神が見えて、焦点が合い、御心がはっきり
と見えて来る。「わたしにつまずかない者は幸いです」と言われた。
今、目の前に起きている、この事に神を見、過去のあの事この事に
も神が見えて、神の心がわかって来る。
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御心を知るために真っ白な思いで御言葉に向かいたい。目に見える
状況も自分の思いを通して見えてしまう。思い込みやすく簡単に御
心を外れてしまうと、謙遜に主に導きを尋ねていこう。