2019年05月21日(火) 「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」詩篇55:17
「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」詩篇55:17
詩編でダビデは、親友から裏切られ、胸も張り裂けんばかりに苦し んでいる。苦しみも悲しみも喜びも共にして来た、信頼する同輩で ある、その親友が自分を攻撃して来る。それも最も恐ろしい敵とな って立ち向かって来る。いかばかりの苦しみ、辛さ、恐怖だろう。 「私の心は、内にもだえ、死の恐怖が、私を襲っている。恐れとお ののきが私に臨み、戦慄が私を包んだ」とあるがままの、恐れ、お びえた心の状態をそのまま告げている。荒野へ逃げたいと、その荒 野こそが私の逃れ場と。自分で動かず、自分で何とかしようとせず に、まず祈りにもって行き、主にあるがままの心をことごとく吐き 出し、告げる事が大切だ。 その祈りに主は答えて下さる。私たちも、不安、恐れ、煩悶、思い 煩い、すべてをありのまま、主の前に吐き出す事が、どうしても必 要だ。主はそれらを受け止めて下さる。「私が、神に呼ばわると、 主は私を救ってくださった」ダビデは、主に受け止められ、救われ た。神に呼ばわることが大切だ。「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめ く」、ことごとく吐き出す時に「主は私の声を聞いてくださる」 祈りが聞かれているという、心奧深くに確信を得た。主の救いを経 験し、はっきり主との交わりを得たダビデは「重荷を主にゆだねよ。 主は心配していて下さるから」と確信持って言えた。ダビデのよう に「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています」と、あるが ままの気持を、主に告げて行こう。受け止めて下さったとの確信が 与えられる。 ------------- 祈りのうちに主と交わる時、外界の攻撃は遮断され、心は無風状態 になる。主の安全な隠れ家に入れる。夕、朝、真昼、恐れや不安の 度に主のもとに逃れよう。