2020年05月21日(木)

「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て」使徒7:55




ステパノは、12使徒を助けるために選ばれた人だった。信仰と聖霊
に満たされていた彼は、不思議なわざとしるしを行なっていた。そ
れが気に入らない律法学者たちは、議論するが、彼が「知恵と御霊
によって語っていた」ので、対抗できなかった。そこで画策し、人
に偽証させて、神を冒涜したとの罪で議会に引き出した。

そこでステパノはイスラエルの歴史を語る。民は事あるごとに偶像
礼拝に陥り、主は預言者を送り、立ち返らせようとするが、それも
拒み、とうとう最後にはキリストを殺してしまったと。すると人々
は、激しい怒りに燃えた。だが、「聖霊に満たされていた」ステパ
ノは人々の石打ちに「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」
との言葉を発し、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」
と叫び、息絶えた。

それは主の十字架上の言葉だった。「主よ彼らをお赦しください」
と。ステパノは、なぜ自分を殺す人々を赦す事ができたのか。まず、
彼は「聖霊に満たされていた」とあり、主に従おうと、自分を全く
明け渡していた人だった。自分の生涯に、主の栄光が現される事だ
けを求めていた。だからこそ聖霊に満たされていた。そして、彼は
主だけを、一心に見つめていた。

「天が開けて・・人の子が・・見えます」ただただ主だけを見てい
た。私たちはどうだろう。赦せない相手だけを、一心に見続けてい
ないだろうか。ますます赦せなくなる。聖霊に導かれること、主を
見つめ続けることを、覚えよう。自分では出来ないので、主に助け
を求めて、祈ろう。求めに必ず答えて下さる。
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目の前の人が心にいる限り、絶えず動揺して心は休まらない。主に
心を注ぎだして祈ろう。御霊によって共におられる主が見える。主
に信頼し、全てをお任せしよう。