2020年09月20日(日)

「アブラハムは、自分の妻サラのことを『これは私の妹です』と言 ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入 れた」創世記20:2




私たちは、人間なので、どうしても失敗してしまう。日常生活でも、
どれだけ気をつけていてもミスするし、又、間違ってしまう。アブ
ラハムは、自分の妻サラを「私の妹です」と、エジプトとゲラルに
おいて、1度ではなく、2度も自分を守るために嘘を言い、騙した
と記されている。

普通の書物なら、都合の悪い事実は隠す。都合良い事だけを書くも
のだ。しかし、聖書はアブラハムの失敗をいっさい隠さず、事実を
ありのままに記している。偉大な信仰の父アブラハムも、スーパー
マンではなく、完全な聖人でなく、私たちと全く同じ弱さを持った
人間であった。私たちと同じように失敗し、又、同じようにその失
敗も繰り返している。

イサクが与えられるとの約束があるのに、神の時を待てなかった。
肉の思いと方法で、奴隷ハガルによりイシマエルを産み出してしま
った。しかしアブラハムの失敗にかかわらず、主は、そのつどアブ
ラハムを立ち返らせ、真実に約束を成就された。イサクが与えられ、
主はアブラハムを大いに祝福された。

ヘブル11章の信仰の人々に名を連ねている。私たちは失敗する。何
度も失敗し、又、弱さゆえに同じ失敗を繰り返してしまう。だから
と言って、主は決して捨てられない。約束も使命も変えられる事は
ない。

私たちの弱さをご存じだ。ご存じの上で愛して下さっている。自分
はだめだと思ってしまうが、主の十字架による豊かな赦しが備えら
れている。赦されて、赦されて、生きて行ける。今すぐ、主のもと
へ行こう。

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主の御顔を仰ぐ事が信仰と言われている。どんな失敗をしても、主
から隠れず、主を避けずに、主のもとにいて、主に向く時に、主の
愛は決して変わらず、主の慈しみは尽きない事を知らされて行く。
主の豊かな赦しがあるから、悔い改める事ができる。