2020年10月21日(水)

「ですから、私はキリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」Uコリント12:9



パウロは、非常に辛く苦しいとげが与えられた。とげは、容赦無く
突き刺し、どんなに激しい痛みに悩まされた事だろう。私たちにも、
今、とげが与えられているだろうか。対人関係の苦しみ、親子関係
や夫婦関係の深い悩み、厳しい経済的苦境、仕事上の困難、病気の
痛み・・様々なとげがある。パウロは、自身のとげを去らせて欲し
いと、真剣に必死に祈った。

このとげが無ければ、どんなに楽になり、もっと宣教活動に専念で
きて、スムーズに働けるのではと。私たちも何とか悩みから、とげ
から解放されたい。苦痛でたまらない、この問題を、とげを、取り
去って欲しい。何とか解決しようとするのだが、どうにもならない。
苦しい対人関係を何とかしようとするが、ますます感情的にもつれ、
問題は絡み合い、溝は深まり悪化するばかりだ。

経済的問題を何とか乗り越えようとするが、尚も想定外の出費がか
さみ、どうなっているのか。祈りの中で、パウロは主の御心を知っ
た。「高ぶらないために」と。サタンからのとげであったが、主が
サタンをも利用され、へりくだらせて下さるためだった。そして主
の恵みは十分で、主の力は、弱さの内に完全に現われると。

私たちは強さの中だと勘違いするが、そうでなく弱さの中だと。弱
さの中に主の臨在があり、主が現われて下さる。だからこそ大いに
喜んで弱さを誇ればよいのだと。とげは、へりくだって主に拠り頼
むためであり、そこに主の力が現されるためだ。自分自身を明け渡
し、主に働いて頂こう。その時に自分も周囲も、素晴らしい主の栄
光を拝する。
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祈っても祈っても改善されない問題に心が折れてしまう。主は最善
しかされないのだからこの小さく弱くされた事が主の御思いではな
いだろうか。主の力で守られ、おおわれる時だ。