2020年12月17日(木)

「祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」マタイ5:23



ここは、自分が傷つけられて、相手を恨み、憎んでいるのではない。
よく相手を赦せなくて、悶々とする。恨みと憎しみは募り、自分が
苦しくどうにもならない。赦すべきだとわかるのだが、赦せない。
しかしやはり和解しようとする、そういう事を言っているのではな
い。「自分」がでなく、「相手」が自分の言葉や態度につまづいた
り、反感を抱いている事を言っている。

もし誰かに、自分が恨まれているなら、礼拝途上でも、まずその人
の所に行き、謝罪し、和解し、その上で礼拝を献げるようにと言っ
ている。でなければ、礼拝が意味をなさないと。自分が恨んでいる
のでなく、自分が恨まれている場合の事を言っている。主は悔い改
めること、和解することを喜ばれる。

しかし生まれつきの性質には、大変難しい。善行はまだしも、謝罪
だけはしたくない。プライドがある。謝罪以外なら何でもする。ま
た、エデンの園のアダムとエバの通り、罪は認めたくなく、自分を
正当化する。そうなったのは、相手が悪い、相手のせいだと。

又、謝罪は敗北のように感じてしまう。しかし主は「「わたしは、
高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである」
と。へりくだった謝罪を喜ばれている。
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謝罪し自分を改める事は痛みを伴うが、礼拝よりもまず和解をと主は
望んでおられる。解決にむけて祈り努力しよう。主との関係がなによ
り正しくされる。