2021年02月18日(木) 「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」ヘブル4:15
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」ヘブル4:15
救いを受けた私たちは、生まれつきの古い性質と新生した新しい性 質が、絶えず葛藤している。天に帰るまでは、霊と肉の戦いの中に ある。主は、私たちの弱さをご存じだ。この肉体は疲れ、病気にも なる。主は、私たちと同じ肉体をとって、地上に来られたので、こ の事をよくわかり同情して下さっている。 主は、あなたの弱さをご存じだ。良き理解者だ。だから主の血潮の ゆえに、あわれみを受け、恵みをいただいているので、いつでも 「恵みの御座」に行く事ができる。私達は、古い価値観があり、元 気な時は、主のためにどんどん働き、主に近いと感じる。逆に心身 に弱さを覚え、無力の時はどうだろう。主を遠く感じるだろうか。 「何も出来ない者」と悪魔の声が聞こえる。罪を犯すと「同じ失敗 ばかりして」「成長がない、だめだ」とひどく落ち込み、ますます 主から遠ざかる。御言葉はどう言っているだろう。「あわれみを受 け、恵みをいただいて、大胆に恵みの御座に近づこう」。離れるの でなく、近づけと。恵みの御座に近づける根拠は「あわれみを受 け」「恵みをいただいて」とあり、「あわれみ」と「恵み」だ。 自分の功績、自分の力にはいっさいよらない。行ないではない、一 方的な愛顧だ。主のあわれみと恵みがあるので、どんなに破れ果て た、ぼろぼろの状態でも、御前に行ける。少しはましになって御前 に行こうとするが、あるがまま行こう。主の「あわれみ」と「恵み」 をしっかり心に刻もう。 ------------ 自分自身の理解が邪魔をして、主の御心と大きく離れていても、なか なか気づかない者だ。今の現状のままで主に向かおう。主が教えてく ださる。主のあわれみと恵みの中に何も持たずに行こう。