2021年04月20日(火)

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありませ ん。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じよう に、試みに会われたのです」ヘブル4:15

 

私たちの主は、私たちの弱さをご存じだ。弱さを裁き、責められる
のでなく、理解し、同情して下さっている。何と有難い事だろう。
身体は弱さを覚えるし、病気にもなる。主は肉体をとって、地上に
来られたので、疲れ果ててしまう身体の弱さもよくわかって下さる。
弟子たちと向こう岸へ渡る時、湖上の舟のともで、嵐のまっただ中
も熟睡されていた。

それほど身体が疲れておられた。又、身体と共に、内側の弱さもご
存じだ。憎しみや敵対心、妬み、赦せない思いは、苦しく辛い。そ
れらを正直に主に告げて行こう。主は導いて、その苦しみ辛さから
自由にし、解き放って行って下さる。又、罪を犯してしまった時、
御前に悔い改めるなら、豊かに赦して下さる。赦しを受け取ろう。
平安が戻る。

又、私たちは、しばしば試練を通る。試練は非常に苦しく辛いが、
主も共に苦しんで下さっている。「彼らが苦しむときには、いつも
主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによ
って主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られ
た」、その苦しみを理解し、わかって下さっている。

主は、恵みの御座へと私たちを連れて行って下さる。「あわれみを
受け」「恵みをいただいて」、おりにかなった助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうと。そこには、時ピッタリの助けがあ
るからと。近づく根拠は、自分の力、功績でなく、主の「あわれ
み」と「恵み」だ。何と感謝な事だろう。

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弱さに同情して下さっているとは、何と救われることだろう。誰し
も弱いし、弱さを持っている。それを責めず、裁かず、受け止めて
下さっている。そして主のもとに行くなら、折りにかなった助けを
下さると。いつも主のもとに、あわれみと恵みが