2021年06月20日(日) 「わたしも一言あなたに尋ねましょう。もし、あなたが答えるなら、 わたしも、何の権威によって、これらのことをしているのかを話し ましょう」マタイ21:24
「わたしも一言あなたに尋ねましょう。もし、あなたが答えるなら、 わたしも、何の権威によって、これらのことをしているのかを話し ましょう」マタイ21:24
主が宮で教えておられた時、祭司長・長老たちが「何の権威によっ てしているのか」と詰め寄った。その前に、主が宮が汚されている 事を怒り、宮で売り買いする人々を追い出し、両替人の台や鳩売り の腰掛けをひっくり返していた。そして彼らは自分たちこそ、教え る権威と資格があると思っていた。それに対し、主は問われた「ヨ ハネのバプテスマは天からか、人からか」と。 彼らは相談した。もし「天から」と言えば、ヨハネが主イエスは神 から遣わされたと証ししているのに、なぜ信じないかになる。又、 もし「人から」と言えば、群衆はヨハネを神からの預言者と認めて いるから、恐いと。それで彼らは「わからない」と答えた。「天か ら」と答えてもまずいし、「人から」と答えてもまずい。それで 「わからない」に逃げた。 すると主の答えは「わたしも話すまい」であった。彼らは、神に出 会えなかった。真摯に主に向き合う事も、正直に自分に向き合う事 も無かった。責任を取りたくないので、逃げて、真実に直面しない。 だから主も答えられない。本当に「人から」と思うのなら、そう言 えばよい。正直な真実な気持ちには、主は対応して下さる。そして そこから次の展開がある。 私たちはどうだろう。責任を取りたくない、犠牲は払いたくない。 そのため避けていないか。心を探って頂き、ありのまま祈って行こ う。 ・・・・・・・・・・・・・ 「もしあなたが答えるなら、わたしも話しましょう」繕う事なく、正直 に、ありのままを認め、主に向き合う時、主と交わりが生じる。主は 向き合って下さる。受け止め、導いて下さる。「したくない、出来 ない」事もありのまま告げよう。そうするならそこから導いて下さる。