2021年08月21日(土)

「・・わたしから離れ、むなしいものに従って行って、むなしいもの となったのか」エレミヤ2:5



「わたしの民は二つの悪を〜」とある。一つは「湧き水の泉である
わたしを捨てた」二つ目は「多くの水をためることのできない、こ
われた水ためを、自分たちのために掘った」と。当時、砦は水源の
ある場所や地下水が湧く所に作られていた。水は非常に重要であっ
た。日照りに備え、貯水用に、幾つもの大きな水ためが作られた。
雨季の雨水を水ために溜めた。

ところが幾ら水を溜めても、裂け目から水が、少しづつもれ出てし
まう。壊れた水ためだ。用をなさない。水ためを作ることは、悪い
事ではないが、真の湧き水である主を無視し、ないがしろにして、
自分たちで、自分たちの力と方策で、水ためを作るのなら、それは
悪だ。

「湧き水であるわたしを捨てて」、当時、民は偶像礼拝を行なって
いた。火の中を通して赤ん坊を献げるという酷いものだった。今、
私たちは、金や木の像を拝む事はしない。しかし目に見えない心の
偶像はどうだろう。主以外のものが大切になり、主を捨てるなら、
壊れた水ためから飲む事になると。それは少しづつもれ出て、溜ま
ってはいない。

溜まらないので、心は決して満足する事が無い。何によっても、満
たされることはない。主以外のものに、心を寄せているので、心が
何か虚しく、満たされないのではないか。主は湧き水だ。外側は関
係無く、内側から、喜びや平安が湧き出て来る。湧き水なので、決
して尽きる事がない。虚しいものを追いかけているなら、今一度湧
き水である主に、立ち返ろう。主と交わろう。

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虚しいものに従うのは、壊れた水ために水を入れる事だと。幾ら水
を入れても、こぼれ落ちてしまう。虚しいものに従って行くなら、
自分も虚しい者になると言っている。今、主以上に大事にしている
ものが無いかどうか、御霊に探って頂こう。そして明け渡そう。