2002年12月22日(日)

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)

これは、主に在る多くの人々の証しであり、経験
してきたところだ。厳しい、苦しい試練を通り、必ず
後の日に、苦しみに会ったことは幸せでしたと言え
るのだ。これは素晴らしい恵みだ。ある父親は難病
の子供を授かった。しかし、長年を経た後、この事を
通して夫婦の絆が不動のものとされ、家族が愛し
合い、いたわり合い、互いに思いやりを抱き、家族
間の愛が深められ、何より感謝な事は、家族がより
神に近づけたのだ。天の御父からの深い慰めを受け
ていた。苦しみに会ったことは、幸せでしたと確信を
持って証しできた。私達は自分の罪ゆえに、蒔いた
種を刈り取るかも知れない。又、人から苦しみを
受けるかも知れない。みこころを行なっていて、尚
かつ苦しみに会うかも知れない。しかし、どうであれ
その事ゆえに、幸せですと必ず言えるのだ。どんな
時にも希望がある。