2023年07月21日(金) 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時 がある」伝道3:1
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時 がある」伝道3:1
御言葉は「神の時」の事を言っている。すべての事において、神が 定められた「時」があると。又、「私の時は、御手の中にありま す」とあり、主も又「時」を非常に重要とされた。「わたしの時が まだ満ちていないからです」「わたしの時はまだ来ていません」と 「わたしの時」があると。そして「見なさい。時が来ました」と。 私たちの信仰生活でも、あらゆる事に「神の時」がある。自分では 「最善の時」「今こそが時」と思う事がある。自分の強い思いはあ るが、しかしそれが「神の時」でないなら、事態は動かない。自分 では何とかしようと懸命に動くのだが、空回りするばかりだ。振り 返って経験あるだろうか。神の時では無かった・・あの時、この時 〜。どうやっても、道が開かれず、事が動かない。 又、逆に、神の時には、ひとりでに門が開かれて行く。戸を自分で 叩き割って進むのではない。主が開かれるので、微動だにしなかっ た事態が、目の前でするすると動いて行く。驚くばかりだ。その時 には機会を逃さずに捕らえる必要がある。「すべての人が時と機会 に出会う」。しかし、祈っていなければ、せっかくの主からの機会 も悟れずに、逃してしまう。 主の機会を逃さず捕らえよう。教えられる事は、「神の時」を焦ら ずに待てば良いという事だ。必ず神の時に、事態は動いて行く。前 進して行く。その神の時が満ちるまで、待っていれば良い。その時 を待てずに、しばしば自分で、肉で動いて失敗してしまう。「神の みこころを行ない、約束のものを手に入れるために、必要なのは忍 耐」。必ず主の時が来る。主の定められた時を待ち望んでいよう。 -------------- 待つことは難しいが、神の時を認める生き方は焦りや愚痴から解放 された希望がいつもある。失うときも神の悲しみと共に慰めがあ る。主の定められた美しい時を待ち望もう。