2023年09月20日(水) 「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そ うしたら、お前の用意した物は、いったいだれのものになるのか。」 ルカ12:20
「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そ うしたら、お前の用意した物は、いったいだれのものになるのか。」 ルカ12:20
ある金持ちが大豊作で、倉には納めきる事ができなかった。そこで それを壊し、もっと大きな倉を建て、みなそこにしまった。もう先 何年分も貯めたから、安心だ。さあ食べて飲み楽しもうと言った。 その彼の間違いは、物で、命まで保障されると思った事だ。そこが 愚かだった。だが神は「今夜、お前の命は取られる。お前が用意し たものは、誰のものになるのか」と。 さあ、思う存分楽しもうとした矢先、その夜に亡くなった。元々金 持ちの上に、更に豊作で、倉の上に、更に大きな倉だ。神が豊作を 与えて下さった事の感謝は全く無く、貧しい人々に分け与えようと の思いも無く、どこまでも自分、〃、〃だった。宝のある所に、心 もある。今、私たちの心はどこにあるだろう。この世の所有物は、 実は神からの預かり物だ。真の所有者は神だ。 任されたものを、神に喜ばれるように管理して行く時、自分にも喜 びが与えられ、そして天で豊かな報いがある。彼の人生に、神は無 かった。人生は自分の思い通りになるものと思っていた。だがどん なに順風満帆であっても、明日どうなるかは、誰にもわからない。 明日は主の御手の中だ。だから「あすのための心配は無用」と。 それより、今日なすべき事、今日の御心が備えられている。見えな い明日の事を思い煩い、今日の日をつぶしてしまうなら、何一つ成 し遂げられなくなる。今日、一人〃に与えられた役割がある。それ をしっかり成し遂げる事ができるよう祈ろう。神の前に富むとは、 み声を聞き、従う歩みだ。そして日々地道な交わりにより、主との 関係が更に深く培われて行く事だ。 --------------- 明日の事を知ることは出来ない。先の事がわからないから不安にな るのは当たり前だ。だから日々主を認めて、今日の祝福を祈り、明 日を主に委ねていこう。自分の力で生きていると思うなら不安しか 湧いてこない。