2023年12月20日(水)

「その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、 高ぶることのないように、肉体に一つのとげを与えられました」 Uコリント12:7



パウロは、とげが与えられていた。とげは痛い。少し指の先にとげ
が刺さるだけでも、痛みが走る。どのようなとげかは、記されてい
ないが、激痛が伴うものであったようだ。これさえ無ければ、働き
がもっと自由に出来ると思ったろう。それでこのとげが取り去られ
るようにと、一心に祈り求めた。すると主からの答えは「否」であ
り、取り去られない事がみ心であった。

とげは残されるが、主の臨在がいつも共にあると。そしてその弱さ
の内にこそ、主の力が完全に働くと。パウロは、第三の天にまで引
き上げられる経験をした。パラダイスに引き上げられ、誰も語る事
が許されていない言葉を聞いた。人類史上、誰も経験した事のな
い、極めて特別な霊的経験だ。この事が余りにもすごいので、高ぶ
る事のないために、与えられたとげだと言った。

高慢は破滅とあり、恐ろしい罪だ。ある男性は、非常に若くして大
成功した。へりくだりが大切で、へりくだらなければと、頭ではよ
くわかっている。しかし、余りにも大きな成功を手にして、自分で
はどうにもならなかった。幾ら高ぶるまいと思っても、もうどうに
もならず、高慢に陥ってしまっていたと。

パウロのとげは、高慢から守られるための恵みだった。高慢ほど恐
ろしいものはない。私たちも、受け入れがたいあの事、この事、実
は恐るべき高慢から、守られるための恵みだろうか。
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健康にも能力にも全ての事に自信があればどれ程良いかと思うが、
弱さがあるから高慢にならず主に頼れる。信仰も主が与えてくださ
る恵みだ。あの弱さ、この弱さは主からの恵みだ。