2024年07月21日(日)

「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに 着せてくださった」創世記3:21



エデンの園で、アダムとエバは裸でいたが、罪が入った途端に、裸
でおれなくなった。ありのままの自分で、おれなくなった。これは
アダムの罪以来、私たちも同様だ。本当の自分を、人に見せる事
が出来なくなってしまった。誰にも言えない。心の奥に潜む、あの
妬みや、この憎しみはどうだろう。

誰かへの恨み、赦せない思い、又、プライド、虚栄心、人を見下げ
る優越感、コンプレックス、又、恥や罪意識、人には言えないが、
自分の心は知っている。皆が、ひた隠して生きている。本当の自分
の弱さ、劣等感、様々な恥は、知られたくない。そのため、いちじく
の葉で隠す。そのいちじくの葉とは、名誉、地位、功績、富・・。

何とか虚勢を張り生きているが、本当はもろい自分。そこを認め
ると、自分が崩れてしまうので、必死で立っている。しかし主は、彼
らに皮の衣を着せて下さった。動物の血が流され、作られた皮の
衣は、主の十字架のあがないの予表だ。この主のみわざにより罪
の赦しが与えられ、主の義が着せられる。

いちじくの葉で幾ら隠しても、その葉はすぐに枯れる。主は血を流
す事で作られた皮の衣を着せて下さった。十字架による罪の赦し
により、心底の平安が与えられる。そして、あるがままを受け入れ
られているので、突っ張る必要も、隠す必要もない。主の赦しに
おおわれている

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人には言えなくても、まず、主にだけは、繕うことなく、心の本音を
告げてみよう。主はさばかず、真実に受け入れて下さっていることを
知るので、あるがままの自分が愛されていることを、実感する。
主には何でも言えるようにされて行く。