2024年10月21日(月)

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分 のからだをもって、神の栄光を現わしなさい」1コリント 6:20



時に主のみ思いと、私たちの思いが大きくかけ離れ、異なる事があ
る。主は、私たちの祈りを喜ばれ、どんな小さな祈りも、耳を傾け、
聞いて下さっている。だが、祈りの答えは、自分の都合の良いよう
に来るのではない。私たちは、自分の思い通りにしたいとの、強い
肉の思いがある。

自分の思い通りに、願いを叶えて欲しい。それが時々、主のみ思い
は異なっている。例えば、私たちは、生まれつき身体が不自由なら、
自由になる事がいやしであり、祈りの答えだと思う。しかしもし不
自由であっても、御霊の喜びと平安が与えられ、生き生きと感謝の
人生を送れるならどうだろう。それが答えであるかも知れない。祈
りが聞かれるとは、自分の思い通りではない事もある。

しかしもし、自分の思いではない道だが、主の栄光が現れるならど
うだろう。私たちの目標は、どんな場合にも、私たちにより、主の
栄光が現れる事ではないだろうか。パウロは、トゲが取られるよう
3度も、つまり徹底的に祈ったが、主からの答えは「ノー」だった。
主は、それがある方がより栄光が現れると言われた。

ある人はトゲが取られ、ある人はそのまま残される。どちらも主の
栄光のためだ。私たちの「なぜ?なぜ?」と、不満と愚痴の部分を
今一度、御霊の光に照らされて、受け取り直そう。今、目の前のそ
の事は、あなたを通して、主の栄光が現われるためではないだろう
か。
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いつでも、どんな事にでもそこに主を認め、主の最善を信じて、失望
せずに歩むなら、それが主の栄光を現わすことになる。大きなことは
出来ない者だが、今日も主に感謝して、喜んでいたい。