2024年11月20日(水)

「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、 あなたの全身が明るいが・・」マタイ6:22


からだのあかりは目であって、目が健全なら、窓口である目から、
光が十分に取り込まれるので、身体全体が明るいと言っている。心
も明るい事になる。しかし目が悪いと、そこに光があっても、目で
しゃ断されてしまうので、光を身体に取り込めない。だから身体は
暗く、心も暗い事になる。

外には十分な光があるのに、窓から光が入らない状態だ。光が無い
のでなく、光は十分あり、輝いている。光の問題では無く、目が悪
いという、目の問題だ。目が見えないので、すぐそこに光がある事
がわからない。太陽が光輝く中で、目を閉じていたらどうだろう。
太陽は輝いているのに、真っ暗闇だ。

問題は目にある。だから、目が暗闇にならないようにせよと。光は
主だ。主は常に輝いておられる。そして健全な目とは、「単一の目」
との意味だ。それは、光である主だけを見続ける目だ。だが、主に
対して目を閉じ、主ではなく、名誉、地位、富・・この世のものに、
又、心配事や思い煩いに、又、偏見、思い込み、独りよがり、又、
激しい憎しみや妬み、怒りに、目が釘付けならどうだろう。

それは目を閉じた状態になり、光が入らない。心は真っ暗になる。
見ているものを「よく注意せよ」と。赤い警告ランプが、目が悪く
て、青に見えていたらどうだろう。生死に関わってくる。主を見つ
めているなら、光が目の窓から豊かに入り、自分自身はすみずみま
で輝く。そして、それは自分だけでなく、周囲の人々をも照らして
行く。
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本当の光を受けていない内側の暗さ、その暗さはどんなでしょうと
主は言われた。この世の物も、自分の内側にも光はなく、主を見て
いないとすぐに失望してしまう。主の光を受け輝いていたい。