2025年01月21日(火) 「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してく ださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」 詩篇55:22
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してく ださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」 詩篇55:22
幼児が、口の狭いキャンディボックスに手を入れ、幾つものあめを 握りしめ、手が出ないと泣き叫ぶ。飴を放すと手が出るよと言うが、 絶対に嫌だと泣くばかり。こっけいな光景だが、私たちの霊的生活 に似ているだろうか。心が悶々と苦しいだろうか。その時は、何か を堅く握りしめている。それは憎しみや妬み、さばく思いだろうか。 思い通りにしたい事柄だろうか。 憎しみや妬みやさばく心は、相手でなく、自分が苦しい。平安が無 い。喜びも無い。飴を手放すなら、ボックスから手が出て、自由に なる。憎しみや妬みを手放す時、心は解き放たれ、喜びと平安が戻 る。しかし強烈な自我は、決して放したくない。苦しいのに、憎ん でいたいし、妬み続けたい。罪の性質だ。「出来ません」「したく 無い者です」とありのままを認める事から、祝福が始まる。 ある人が子どもの難病を、どうしても受け入れられないでいた。 「なぜ?どうして?」「自分の子が?」と涙は溢れ、グルグル思い は回り、苦しみ、つぶやき、主に対して反抗している自分がいた。 同年齢の子どもを見れば涙が出る。悶々の心は苦しくてたまらず、 とうとう限界で、ギブアップした。 行き詰まり、煮詰まり、そうせざるを得ない状態だった。自分自身 も、子どもも、将来も、不安も、恐れも、何もかもを、主に明け渡 した。その時、状況は全く変わらないのに、心に初めて安堵と平安 が臨んだ。委ねられないで握っているなら、その事を主に告げて、 ありのままの心を祈ろう。 ----------- 肉はいつまでも憎んでいたいし、明日を心配していれば安心だ。こ のままでは解決がない事に気づきたい。肉の思いを認め、主に助け を祈ろう。主が心配し、悔い改めも打ち勝つ力も与えてくださる。