2025年03月21日(金)

「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」 T列王17:1



「彼に・・主のことばがあった」、エリヤは、ケリテ川へ行けとの言
葉を与えられた。そこで烏により養うと。「彼は行って、主のこと
ばのとおりにした」、示された通りにケリテ川へ行くと、そこで主
の言葉の通りに烏により養われた。飢饉で、その川が枯れた時、
「彼に・・主のことばがあった」、ツァレファテへ行け、やもめ女に
より養うと。

「彼は・・出て行った」、主に従い、町へ行った。やもめ女に出会う
と、水とパンを求めた。すると、彼女は極度に悲惨な状況にいた。
何と、最後の一握りの粉でパンを作り、母子で最後の食事をして死
のうとしていると。目の前の人物は、人を養うなど到底不可能だ。
しかし御心に従い、助けを求めなければならない。人間的に考える
なら、その死ぬ前の最後のパンを、自分にくれとなどとは、言えな
い。

しかしエリヤは見える所でなく、情でも、自分の思いでもなく、信
仰に立った。御言葉に従い、まず自分にパンを作り、その後に母子
のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わるまで粉は尽き
ず油は無くならないと。彼女はエリヤの言葉に従った。すると奇跡
が起きて、母子は飢饉のまっただ中で豊かに養われた。それは母子
のためでもあった。

神を第一にして従う時、神の栄光を見る。自分の思いや、見えると
ころが正反対であっても、主の言葉に、信仰によって従おう。「主
のことばがあった」「主のことばのとおりにした」。その時、「主
は生きておられる」ことを知る。
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自分の思いと、主の御思いは天と地ほども違うことを覚えていたい。
感情は絶えず揺れている。怖れも不安もすべてを主に注ぎだして祈
り、どんな時にも主を信じて御言葉に従おう。