2025年05月21日(水) 「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人に はいって来る物は人を汚すことができない、ということがわから ないのですか」マルコ7:18
「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人に はいって来る物は人を汚すことができない、ということがわから ないのですか」マルコ7:18
この世の考え、生まれつきの価値観では、外側から入るものが、人 を汚すと思う。生い立ちが不幸だった、ひどい境遇だった、親が悪 い、社会が悪い・・だから、子どもは非行に走り、大人は犯罪を犯す と。環境さえ良くなれば、社会さえ良くなれば、人は良くなり、悪 い影響を除けば良いのだと。特に日本人は性善説だ。 しかし親が幾ら愛を持って育てても、又、環境は良くとも、人は罪 人であるので、ある人は欲望のために生きるかも知れない。聖書は、 環境が人を汚すのでない、環境は人を汚すことができないと。人は 罪を犯すから、罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのだと。環 境さえ良ければ、善人になるのではない。 「義人はいない。ひとりもいない」「善を行う人はいない。ひとり もいない」と。環境は関係無く、人の心から出るものが人を汚す。 「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不 品行、盗み、殺人・・これらの悪はみな、内側から出て、人を汚す」。 様々な問題がぶつかり合い、争いが起きる。 それらは、人々の心から湧き出て来る問題だ。すべてが内側から出 て来て問題を起こす。心に原因があり、内側から出る「罪」が人を 汚す。主はそのところに十字架で解決を下さった。主の流された血 潮により、私たちの心も良心もきよめられる。 主は罪を赦し、心をきよめて下さる。そして自我まみれ、欲まみれ の古い人は、キリストと共に十字架につけられたと。信仰によって 受け取って行ける。主の血潮によってのみ、私たちの内側はきよめ られる。 ------------------ 父なる神は、主キリストの十字架によって信じる者を義としてくだ さった。どんな環境に置かれても、自分の内から出てくるものは何 も変わらない。神に赦され、きよめられるとは何という恵みと慰め だろう。