2025年06月20日(金)

「各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルづつ、 あなたがたの人数に応じてそれを集めよ」出エジプト16:16



イスラエルの民はエジプトから、荒野に出た。主は、何も無い原野
で、民たちを40年間、養われた。天からマナを降らせ、毎日1日分
だけを集め、6日目だけは、2倍集めるようにと。7日目は安息日
で、集めることができないためだ。しかしある人々は、命令に背き、
翌日分まで取り込んだ。が、それは虫がわき、悪臭を放った。

又、ある人々は、6日目に2倍集めず、安息日に取りに出たが、安
息日には、何も無かった。主はこの事を通して、「わたしの教えに
従って歩むかどうかを試みられ」た。40年もの間、1日たりともマ
ナの無い日はなく、主は荒野で民を顧み、養い続けられた。これは
「日ごとの糧」を表わしている。

主は、その日の必要を「必ず」与えて下さる。だから、明日の心配
はいっさい無用だ。明日、明後日の糧ではなく、「今日」の糧を与
えると。明日のことは明日が心配する。今日1日の糧を感謝し、明
日は、明日に与えて下さると信じる練習だ。それが信じられなので、
明日の分も取り込もうとする。しかしそれは不信仰であり、腐って
しまう。

明日の心配無用だ。能天気でよいとの意味でなく、主が心配し、配
慮して下さるから、私たちは心配不要なのだ。愛して下さっている。
神の愛を信じ、平安に歩む道と、常に明日が不安でたまらず、常に
思い煩う歩みと、どうだろう。主に心の内を祈り、御言葉を信じる
信仰を祈って行こう。
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様々な恐れや心配事が来る。明日の心配のために、大切な今日を虚
しく過ごしてしまわないように、不安の中にも主を信頼し、守りを
信じて委ねていこう。