2025年07月21日(月)

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなこと でもできます」マタイ19:26



若くして資産家の青年が、主のもとに来た。そして永遠のいのちを
得たいが、「どんな良いことをしたらよいか」と問うた。主は、彼
に「良い方は、ひとりだけ」と答えられた。主は、人が何かを行な
う問題でなく、良い方である、主の問題だと言われた。しかし彼は、
行なおうとの思いで満ちていた。

主は、この間違いを導くために、律法を持ち出された。律法は、自
分の力で守れない事、自分では良い事ができない事を、教えるため
にある。律法が、いのちを与える事ができるなら、義は良い行ない
による。しかし、すべての人が罪の下に閉じ込められ、義は、善行
でなく、キリストに対する信仰によるとされた。

青年に、良い事は、自分ではできない事を教えようとされた。「殺
してはならない・・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」しか
し彼は「守っている」と答えた。だが、守れるはずがない。主は心
の中まで問題にされるから、誰一人守れない。彼は、「何がまだ欠
けているのか」と問うた。主は、財産を貧しい人に施すようにと。

もし隣人を愛しているなら、すでに貧しい人々に施していたはずだ。
自分の力では、律法は守れない事を、主は教えたかった。だからこ
そ「良い方」がおられると。しかし彼はどこまでも自力に固執し、
主のもとを去ってしまった。

私たちも、財産=自分の力、自分の行ないだ。自分を捨てられない
だろうか。自分では不可能だ。しかし人にできない事が、主にはで
きる。主のもとを去らずに、主に祈り、取り扱っていただこう。
-----------------
ただ、主の前にありのままの自分の現実を認めていきたい。そうす
る時、主が次に導いてくださるのではないか。出来ない事を率直に
祈れるのは恵みだ。主がしてくださる。