2025年09月20日(土)

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、 神に至るからです」ローマ11:36



ある人が、学びの中で、主に委ねる事の大切さを教えられ
た。それで自分が立案し、練りに練ったプランを、主にお委
ねした。そうすれば、大成功するのだと思っていた。しかし、
そのプランはうまく行かず、挫折し、散々な結果となった。
大失敗し、自らの力不足で、未熟さで、周囲に多大な迷惑を
かけてしまった。

自分自身も大打撃で、落ち込み、体調を崩した。休暇を取り、
静かな時が与えられ、御前に祈りの時を持った。ことごとくを、
ち明けて祈る中で、教えられた。自分は、自分主導で、自分が
立案した計画がうまく行くよう、主が力を貸して下さるのだと思
っていた。それなら、立案には主が全く不在だ。そうでなく、自
分を明け渡して、祈り、主の計画に、自分が従って行く時に、
主が成し遂げて下さるのだと。

「神から発し、神によって成り、神に至る」のであって、自分から
発した事では無いのだと。自分から発した事が、神によって成り、
神に至る事は、無いのだと。「神のみこころに従って、まず自分
自身を主にささげ」、まず主に自分自身を渡して、委ねることが
大切で、そうする時、主は御心の計画を示し、成し遂げて下さる
と知った。

自分が運転席で、主が助手席だと思っていた。自分が行く方向
をすべて決め、主がそれをヘルプして下さるのだと、思い違いを
していた。大切な学びを得て感謝だった。私たちも信仰生活の中
で、事に当たって、まず主に祈り、主のみ思いを教えて頂こう。そ
れに歩んで行く時、主と一つに歩めて、大きな喜びとされる。

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神から発している事が大切だ。自分から発するものでは無い。
「 主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」
これこそ最善と自分は思うが、主の御心は別だったりする。主の
み思いを求めて、従おう。豊かな祝福にあずかる。