2003年07月21日(月)

「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも」(詩篇22:1)


ダビデは神に愛され、神に従った人物だ。
しかし、息子が自分に反逆して立ち向かって来た
時、神に見捨てられてしまったと感じた。
主イエスも十字架上で、どうしてお見捨てになる
のですかと、神に訴えた。私達は悲しみや苦しみ、
困難に遭遇した時に、きれい事の祈りではなく、
神に訴える事が出来る。訴えて良いのだ。
神の御前で、建て前の祈り、きれい事の祈り、本
心からでない祈りは全く答えられない。
祈っても無駄だ。無駄な祈りでなく、本心からの
正直な心を神に訴えるなら、神は聞かれる。
多くの人が嘆きを神に持ちだし、正直に心の内を
訴える時、神が不思議な道を開いて下さったと体
験している。神は道を開かれる。
信じるなら神は大きく働かれる。