2001年05月21日(月) 「この奉仕のわざは、聖徒達の必要を十分に満たすはかりでなく、神への多くの感謝を通して満ちあふれるようになるからです
「この奉仕のわざは、聖徒達の必要を十分に満たすはかりでなく、神への多くの感謝を通して満ちあふれるようになるからです
「この奉仕のわざは、聖徒達の必要を充分に 満たすばかりでなく、神への多くの感謝を 通して満ちあふれるようになるからです」 (Uコリント9:12) ある宣教師夫妻が、アフリカを伝道旅行していた。 彼の妻が転んで足を骨折した。全く歩けなかった。 ギブスをはめ、動けなかった。四人の男性が椅子ごと 持ち上げて運んでくれた。彼は何回か、攻めて一隅で も自分も運びたいと頼んだ。 しかし、男性は自分たちに任せるよう言い張った。 それでも無理に頼むと彼らの一人が言った。 「私達が奥さんのために、神の恵みを運ぶ水路になる のを許してくれませんか」と。彼は呆然とし、受け入 れた。他人を助けるのが神の恵みの水路を備えること だとは考えたことがなかった。人からの助けを受ける ことは、神の恵みを受けることなのだ。それを拒むこ とは、その人々が、神の恵みの水路になる特権を奪う ことなのだ。ほかの人々の助けを丁重に受け入れよう。 自分自身にとっても、彼らにとっても、それは神の大 きな祝福なのだ。