2006年02月18日(土)

「この民は、主の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている」(ハガイ1:2)

信仰生活で、神の「時」と、神の「みこ
ころ」は、大切な事柄だ。すべての事
に、美しい「神の時」がある。同時に、
神は、私達一人一人に、「みこころ」を
持っておられる。民は、中断したまま
の、宮の再建について、まだ今でなく
てもよいと、言い訳をしていた。しかし、
その本心は自分の事と自分の家の事で
忙しく、主の宮の事まで、時間も労力も
回らなかったのだ。自分の好きな事は
快適であり、心地良く、幾らでも時間も
労力も費やせる。全く苦にならない。自分
の好きな事、生きがいや仕事や趣味・・
一見、罪でないので、没頭していて気づ
かない。しかし、「神の時」が来ていた。
「宮を建てよ、栄光を現わす」と言われる。
仕事に取りかかれと。あなたに何か神の
御旨を示しておられるか。自分の事に
かまけて見ようとしていないか。中断し
たままの事が無いか。言い訳、弁解し
ていないか。今、示された「御心」に取り
かかろう。
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神の「時」と「機会」がある。その時には
御霊が力強く働かれる。自分の事に夢中で
逃す事がないように。「宮を建てよ。わたし
はそれを喜び、栄光を現そう」と、主の栄光
のために用いて頂けるとは何という幸い。