2006年03月21日(火)

「彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし・・介抱してやった」(ルカ10:33)


祭司とレビ人は、問題ある人に関
わりたくなくて、避けて行った。
時間を取られたくない、労力を奪
われたくない。犠牲を払いたくな
い。自分の内にある肉の性質も同
様だ。別に自分の益にならない事
はしたくない。肉は自分を楽しま
せ、満たすことを求める。
サマリヤ人はあわれんだ。あわれ
みとは、同情+行動だ。同情だけ
でなく、行動を起こすものだ。
サマリヤ人は行動した。傷の手当
てをし、家畜に乗せ、宿屋に連れ
て行き介抱した。これは主が私に
して下さったことだ。罪に滅んで
行くのを見られたから、十字架に
かかられた。「キリストでさえ、
ご自身を喜ばせることはなさらな
かったのです」。肉か、主のお心
か、いつも選択だ。自分を捨てて
主の御心を選ぶ時、この世にはな
い真の喜びを知る。主のお心と一
つだから。
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頭ではわかっていても、行動に移
せない。言い訳しながら脇をすり
抜けて行く私達に、示して下さっ
た主の憐みはなんと深いことか。
それを実感して行く事から始めよう。