2006年06月19日(月)

「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています」ピリピ3:8



パウロはユダヤ人の中でもエリート
階級にいた。割礼を受けた生粋のユ
ダヤ人だ。名門ベニヤミン族の出で
あり、宗教的且つ政治的指導者を育
成していたガマリエルの門下生。
その熱心は周知の通りだ。
ダマスコ途上でキリストに出会い、
人生が180度変わり、この世の出
世コースから外れた。
しかし、キリストに比べるなら、こ
れら一切の事を損だと言った。
パウロは損失によって、キリストを
真に知った。私達が主を知って行く
のは、損をする事により、「損失」
によってだ。御言葉の学びは大変有
益で大切だが、頭の知識にとどまる
なら、知識は人を高ぶらせ、霊的高
慢に陥らせる。しかし、愛は人の徳
を建てる。自分を明け渡す時、自分
の握り締めている、自分の命である
ものを献げる時、神を知り、神の愛
を知る。誰しも自分にとって命ほど
大切なものがある。まさにそれこそ
神と自分との妨げになっているもの
だ。それを明け渡す時、その「損失」
によって、満ち溢れる喜び、神の素
晴らしさを知る。あなたにとって、
しっかり握っているものは何だろう。
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握って放せないから今以上に神様
を知る事が出来ない。知る事が出
来ないからさらに握り締める。
日々の痛み、苦しみ、うめきはここ
から来ている。