2006年10月21日(土)

「主の山の上には備えがある」創世記22:14

アブラハムに最大の試練が臨んだ。最愛
の息子イサクを全焼のいけにえとして献
げよというものだった。息子を殺すより
年老いた自分が死ぬ方が楽だったろう。
それにイサクは約束の子では?神の約束
はどうなるのか?本当に神の声なのか?
聞き間違いではないのか?様々な思いが
巡ったろう。しかし、アブラハムは今ま
での神との深い交わりの中で、神への信
頼と確信があった。「翌朝早く」すぐに
アブラハムは神に従った。そして、刀を
とってイサクをほふろうとした瞬間、神
は止められた。代わりのいけにえとして、
雄羊が備えられていた。神に従う道には、
必ず「主の山に備えがある」。今までこ
の事実をどれほど経験して来た事だろう。
人生には時に理解できない事が起こる。
幾ら祈っても答えがわからない中にいる
だろうか。しかし、そんな中も、主の山
の上には備えがあると信じて歩もう。こ
の事を信じて試練を受け止めるのだ。今、
理解不能の状況の中にあるなら、まっ暗
闇のトンネルの中で堅く信じよう。「主
の山の上には備えがある」と。
・・・・・・・・・・・
信仰人生、今まで来れたのは、主の山の
上に、必ず有形無形の備えがあったから
だ。どんなに断崖絶壁の時も備えがあっ
た。この言葉に立ち、どんな中でも期待
と希望を持って進んで行ける。