2007年02月16日(金)

「しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである」ヨハネ3:21




人は善と悪を知るようになっ
たが、善悪を知るだけで、善
を行なう事はできず、その心
に計ることは、悪に傾いて行
った。又、「人の心は何より
も陰険で、それは直らない。
だれが、それを知ることがで
きよう」とも言われている。
この世の価値観は性善説だ。
人は本来、善なる者であり、
環境が悪い。それらを改善す
るなら善くなる。しかし、神
は「義人はいない。善を行な
う人はいない。ひとりもいな
い」と言われる。人は善を行
なおうと努力し、頑張る。そ
のため、その善をしようとの
願いを持つ自分が、自分の本
当の姿だと錯覚する。ひたす
ら善を行なう事を目指してい
るので、願望イコール自分、
善い人だと勘違いする。それ
ゆえ、善い人ではないという
現実を受け入れる事ができな
い。自分では謙遜のつもりで、
罪人だと言うが、同じ事を人
に言われると、大変な事にな
る。プライドが認めさせない。
謙遜にと思っている人が「謙
遜になれ」と人から言われる
と、カチンと来て、反抗する。
謙遜になりたいと思っている
だけで、謙遜になったわけで
はない。自らが目指している
ところは盲点になる。懸命に
目指しているだけに気づけな
い。盲点は無いか。霊的成長
は本当の姿を認めるところか
ら始まる。そこからしか始ま
らない。
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真理とは主にとどまる事であ
り、主にとどまらずに自らの
力で行うならそれは偽善だ。
無いものは無い。それを認め
た時、光に出て行ける。闇を
歩まず光の中を歩めますよう
に。