2007年08月21日(火) 「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」ルカ11:1
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」ルカ11:1
神のみこころにかなった祈りは答 えられる。みこころにかなわない なら、どれだけ祈っても答えられ ない。それは祈りの原則だ。それ なら、みこころしか成らないのな ら、もし願いが自分の思いなら、 聞かれない。では、どうせ聞かれ ないなら、自分の願いを祈っても 無駄ではないのか。こう思う人も いるかも知れない。しかし、祈り は、○×テストではない。又、お 金を入れてジュースが出て来る、 自動販売機でもない。大事な事は、 祈りは、神との信頼関係を築いて 行くという事だ。祈りを通して心 を通い合わせて行く。交わりが培 われて行く。「ノー」も神の答え であり、それが神のお心であれば、 平安を経験する。ノーという神の ご意志であり、それは御心が別の 道にあるという事だ。祈って、ノ ーの答えを得たから、別の道を模 索できる。方向転換して進んで行 ける。これは決して無駄ではなく、 神のお心を知る上で大切な事だ。 又、祈りを積む中で動機も探られ る。最初から正しい動機で祈れる 人などいない。自己中心な動機で ある事、自分の栄光のための祈り である事、欲望を遂げようとして いた事、祈る中で、御霊が教え導 いて下さる。祈りを正して、御心 にかなった祈りへと導いて下さる。 これらの祈りの実践の中で学べ、 祈りにも成長して行く。 ----------------------- ただただ、ねだるだけの祈りであ っても、祈っているからこそ神様 の答えもわかり、聞いていて下さ る神様を感じる。いつしか祈りの 中で砕かれ、祈りも導かれて行く。 祈り続けよう。