2007年11月20日(火)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」マタイ6:34



誰しも思い煩いたくなど無いのに、
なぜ思い煩うのか。思い煩わずに
済めば、そうするが、そうできな
い問題が目の前にあるから、思い
煩うわけだ。だいたい思い煩うの
は、自分の能力を超えた難題があ
るゆえだ。自分にどうも出来ない
ので、ひたすら思い煩う事になる。
しかし、主は「思い煩うな」と明
言しておられる。わたしの所へ持
って来なさいと。あなたの思い煩
いをいっさいわたしに委ねなさい。
わたしがあなたの事を心配してい
ると。あなたが自分の事を心配す
るより前に、神があなたの事を心
配して下さっている。神に持って
行く事によって、神がいかにあな
たを愛していて下さるかを、経験
によって知ることが出来る。私達
は、明日の事を思い煩うが、明日
の事は全くわからない。明日に備
えて準備はできるが、明日をどう
にかする事は不可能だ。容量を超
えて考える事から思い煩いは起き
る。だから、「あすのことは、あ
すが心配する」と言っている。あ
すは、あす自らの思いでやって来
る。人間がどうこう出来る事では
ない。だから、明日のための心配
は無用なのだ。それを超えようと
するので、思い煩いが生じる。そ
れより、今日一日を精一杯しっか
りと生きるようにというのが、神
の御心だ。明日の思い煩いで、今
日をつぶしていないか。明日は神
にお任せしていよう。
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明日の事を知ることは赦されてい
ない。それは神様がすべて責任を
持っていて下さるという事だ。
まだ見ぬ事に心配を持って生きる
より信仰を持って生きよう。