2008年04月18日(金)

「幸いなことよ。そむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人」詩篇32:1

ダビデはバテシバとの姦淫、ウリヤ殺
害の罪を隠し持っていた間は、良心の
責めで一日中うめいて、骨々は疲れ果
て、骨髄は夏のひでりで乾ききったと
ある。「御手が昼も夜も重くのしかか
り」紛れもなく神が臨んで良心の呵責
を与えておられた。その罪ゆえに煩悶
し、耐えきれず、自らの罪を神の前に
告白し、悔い改めた。罪赦された喜び
を語っている。「あなたは私の隠れ場、
救いの歓声で私を取り囲まれる」天に
ものぼる喜びであったろう。心の奥が
平安にされ、その平安は流れ出て来て、
喜びが満ち溢れた。罪をひたすら隠し
て、もだえ苦しんでいた時と何たる違
い、天と地の差だ。この幸いは、素晴
らしい幸福、最高の幸福、満ち満ちた
喜びといった意味だ。ダビデは名誉も
地位も、富も才能も持った人だった。
王であり将軍であり、音楽の才能を持
ち、詩篇を書いた詩人でもあり文武両
道、何もかも所有していた人物であっ
た。しかし、ダビデの人生で最高の幸
せは、罪を赦された事だった。罪を悔
い改め、赦された人に「悟りを与え、
行くべき道を教え」て下さる。霊的な
理解や気づきを与えて人生を導いて下
さる。何と幸いだろう。今、とがめが
あるなら赦しを受け取ろう。罪は苦し
みだ。最高の幸せは、罪が赦される事
だから。
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罪を犯しても赦される事を知っている
者は何と幸いだろう。罪の咎めに心は
重く苦しむだろうが主に告白すした時
罪は赦される。隠れ背を向けるのでは
なく主のもとに行こう。