2008年07月21日(月)

「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は・・ご自身の愛を明らかにしておられます」ロマ5:8

ある女性が結婚後、嫁姑問題に
ぶち当たった。又、夫との関係も
思っていたものとは違い、考え
方、価値観や嗜好、習慣の違い、
様々な事が思っていた以上に異
なり、悶々状態となって行った。
仕事多忙で、コミュニケーション
の時間もなく、イライラが募る日
々、不平不満でいっぱいで相手
をさばき、責める。自分の非を
認めたくない自我、強い自我に
苦しむ日々、そんな自分に自己
嫌悪にも陥る。主の御前に赦し
を求めるが、そのしりから相手
を責める思いがむくむくと湧き
上がる。苦しみの日々を数年経
て、とうとう疲れ果ててしまい、
もう限界で、これ以上やって行
けないギブアップ状態になった。
姑との確執、夫と喧嘩ばかりの
日々、もう結婚生活を続ける事
ができないところまで、追い込
まれた。「この結婚を明け渡し
ます。同じ事ばかり繰り返す自
分自身を、もうどうにもできま
せん」と全面的に自分自身を明
け渡した。その時初めて、今ま
でわかっていると思っていた
主の十字架が、真に自分のため
である事が迫り来た。罪しか
犯せない自分だからこそ、だから
主が十字架で死んで下さった事
がわかり、心底からの悔い改め
が与えられた。今まで味わった
事のない平安と喜びに満たされ
た。祈りながらも、ずっと自分で
何とかしようとしていた事がわか
った。どん底こそが、実は最大の
恵みの場所だった。
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どん底で待っていて下さる神様
に出会えた事が恵みだ。罪がわ
かった時、壁のシミも十字架に
見える。へりくだったお委ねで
きる時こそ恵みの時だ。