2008年08月11日(月)

「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです」Uコリント6:12

私たちは、自分で自分の心を狭
めて行く。人から狭められるの
でなく、自分でどんどん狭くし
て行く。自分の罪を認めなかっ
たり、御霊の導きを無視したり、
なおざりにしたり、御霊の促し
を拒み続けると、心が固くなっ
てしまう。自分の側で心を閉ざ
してしまうのだ。すると、ます
ます人に耳を傾ける事ができな
くなり、自己中心の自我の殻に
とじこもり、批判、非難、攻撃
的になり、誰も自分をわかって
くれない、自分は可哀想の自己
憐憫に陥る。建設的、前向き、
信仰的な心の態度が失せ、心を
屈折させて行く。ネガティブな
思いに支配されてしまう。そう
すると、分裂や不一致を引き起
こして行く。救いに至る悔い改
めへと導かれるには、必ず自分
の「罪」に、向き合わなくては
ならない。しかし、人は自分の
非を認めたくない。人に悩みの
相談をするのも、解決を求めて
というよりは、自分の気持ちに
同意して欲しい。解決でなく同
意を求めて気持ちを楽にしたい
だけだ。しかし御言葉は、真の
解決を与えるために、手術し膿
みを出すために真実を明らかに
する。だが、自分の真の姿は見
たくない、余りにも痛い。だか
ら耳をふさいでしまう。しかし
平安と喜びに至る道は、とにか
く「耳を傾ける」事だ。どんな
に痛くても耳を傾け、御霊の導
きに従う事だ。
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自分の思いに捕らわれているなら
いつまでたっても出口は見つから
ない。御霊の導きに従えないのは
なぜなのか、不自由になっている
心を見つめてみよう。