2008年10月21日(火)

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」Uコリント2:10




ユダとペテロがよく比較される。ユダは「後悔」し、ペテロは「悔い改めた」。
後悔と悔い改めは全く違う。一番異なる点は、後悔は、した事を悔いて心を変
えようと「自分で」する事だ。

悔い改めは、方向を変えて、「神に」立ち返る事だ。自分ではどうにも出来な
いので、神に向くのが悔い改めだ。
後悔は、神に向くのでなく、あくまでも自分で事態をどうにかしようとする。
だから、後悔には救いがなく、「世の悲しみは死をもたらす」だ。

ユダは、後悔して、主を売った銀貨30枚を祭司長に返して「私は罪を犯した」と言った。
だが祭司長から「知ったことか。自分で始末することだ」と言われ、自ら命を絶った。
非常に後悔したが、自分で結末をつけてしまった。

それが主へと向いたなら、主のもとへ持って行ったなら、「救いに至る悔い改め」となった
であろうに。

ペテロは裏切りという取り返しのつかない失敗をしたが、真に悔い改めて、主の赦しを受け
取った。ペテロは赦され、主の愛により回復させられ、主の昇天後の、働きのリーダーとい
う大任に立てられ用いられた。

ペテロは、主に赦され、受け入れられ、愛され、期待されている自分を見い出した。
だから失敗したが再び立ち上がれた。自分でどうにもできないから、神に向こう。
そこに救いがある。
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主が道をまっすぐにして下さる。失敗し転びながら、また主の十字架のもとで赦しを受け
とって立ち上がれることは本当に感謝だ。失敗を責め立てるサタンの声を聞かず、主に向
いていよう。