2008年12月21日(日) 「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか」詩篇13:1
「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか」詩篇13:1
ダビデは、「いつまでですか」を4回も使って、主に赤裸々な気持ちを訴えてい る。 いつまでこの苦しみ悲しみが続くのか、いつまだ御顔を隠されるのか、心には一 日中悲しみがあり、いつまで思い計っていないといけないのか、いつまで敵は勝 ちおごるのか。 自分の気持ちを隠して、きれい事を並べるのではなく、正直な、率直な、自分の 気持ちをそのまま告げて祈っている。詩篇の色々な箇所で、ダビデは苦しみ、怒 り、嘆き、悲しみ、理不尽な思いを神にぶつけている。 「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ」と。 神は我らの避け所であるのだからと。建前の祈りは、はなから聞かれない。祈っ ても無駄だ。本音を受け止めて下さるお方だ。本音の私たちそのものを愛してい て下さるとは、何というご愛だろう。 ダビデは、いつまでですか!と心の底の思いを率直に、言い表した後、変化が起 きた。「私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います」嘆きと苦し みが、賛美と喜びに変わっている。 神に心の底を率直に正直に言い表し、告げて行く時に、不思議だが心が平安にさ れる。状況が変わらなくても、自分の心が変えられて平安を与えられる。 醜い、汚い、ありのままの自分の姿を認める事により、光の中に出される。光に 隅々までくまなく照らされるので、癒され、成長して行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 正直な祈りだけが、神のお心に触れる。誰にも言えない心の思いを、神にそのま ま率直に告げよう。人に言うと、余計ややこしくなる事がある。まず神に思いの 丈を、気持ちを言い表そう。心に平安が臨み、受け止められているとわかる。