2025年08月19日(火)

「この戦いは主の戦いだ。主はお前たちをわれわれの手に渡される」 Tサムエル17:47



数々の信仰の偉人が、信仰による戦いを戦ったが、その方法は、人
間的に見るなら、意味をなさないような仕方だった。当時、無敵の大男
であるゴリアテがいた。兵士も、民も、誰も歯が立たず、お手上げで、
意気息消沈し、非常に恐れた。ダビデは、主により、信仰により、その
ゴリアテに立ち向かった。そしてその時、剣や槍の武器ではなく、いつ
も使い慣れた石投げで、石を打ち、見事に巨人を打ち倒した。

ダビデの力でなく、主の戦いであった。又、モーセは出エジプト後、すぐ
にエジプトの精鋭部隊の追っ手が迫り、前は紅海だ。武器を持った事
もない民が戦えるわけもなく、前進も後退も出来ず、絶体絶命だ。何
もどうにも出来ない。しかし主はモーセに、「前進せよ」と。そして主を
信じ、従うと、目の前で紅海が二つに分かれて、何と道が現われた。

主が造られた道を、民は無事に通過した。又、ヨシュアに導かれた民が、
主の奇跡でヨルダン川を渡り、カナンに到達した時に、エリコの城壁に
直面した。眼前にそびえ立つ城壁は、難攻不落だ。何の手立ても無い。
どうすれば良いのか。しかし主には方策があり、「エリコと王、勇士たち
をあなたの手に渡した」と。主はその方法を具体的に示された。

その指示通りに従った時に、目の前で、エリコの城壁が見事に崩れ落
ちた。自分たちの力では無い。私たちにも、絶体絶命、行き詰まる時が
ある。しかし、主が道無き所に、道を造られる。主の戦いだからだ。主の
愛による奇跡だ。主を信じ、主に拠り頼んでいよう。

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主の戦いを何度も経験して来た。主が戦って下さる。幾度も奇跡をもって
必要が満たされた。難題に、解決策が導かれて行った。何の方策も無い、
絶体絶命の時こそ、すべての主権を握る主を体験する機会だ。立ち返っ
て静かにし、落ち着いて、信頼を向けよう。