2026年08月02日(火)

「モーセとアロンはパロのところに行き、そして言 った。「イスラエルの神、主がこう仰せられます。『 わたしの民を行かせ、荒野でわたしのために祭り をさせよ。』」出エジプト5:1



モーセが、民をエジプトから救出するために、パ
ロに立ち向かう。神の様々な超自然の奇跡によ
り、災いの苦痛が臨むと、パロは「私は罪を犯し
た」「悪かった」「私のために祈ってくれ」という、
一見悔い改めのような言葉を発するが、その災い
が鎮静化するや、すぐに頑固な元の姿に戻る。

これは、それらしき言葉を言うが、心の底では思っ
てはいない。真の悔い改めなら、必ず良い実を
結んで行くはずだ。神は「わたしが主であることを、
あなたがたが知るため」に、しるしを行なわれる。
しかし、パロにとっては、様々なしるしが、主を知
る事にはならず、脅しみたいなものだった。だか
らその脅しがひくと、再び強情で頑なになった。
元の姿だ。

私たちはどうだろう。もし高慢になっているなら、
神はへりくだるように苦しみを送られる。これは
神の懲らしめの愛であり、放っておかれるほうが
悲惨だ。しかしその苦しみをパロのように単に脅
しに取るなら、確かに悔い改め、反省し、正すの
だが、その苦痛が除かれると、すぐに元に戻る。
本当は自分が悪いとは思っていない。

結局、古い肉の自分のままで、何も変わらない。
真の悔い改めに至らないので、実を結ぶ事はな
い。しかし、御霊に導かれ、へりくだった、真の悔
い改めは必ず結実して行く。悔いくずおれたたま
しいに、御霊は豊かな実を結ばせて下さる。

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神のみこころにそった悲しみと、世の悲しみがある
と言われている。世の悲しみは単なる後悔だが、
御霊が導かれる時、悔い改め、向きを変えさせて
下さる。御霊に従おう。