2009年08月20日(木)

「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はひとりだけです」マタイ19:17

金持ちの役人の根本的な間違いは、「どんな良いことをしたら」であった。何か
をすれば、良い行いによって、永遠のいのちを得られるとの考えであった。

主は「良い方は、ひとりだけ」と答えられた。何かを「する」のではなく、良い
方を「信じる」ことだと。つまり、神の御前に自分の善行、自分の力、自分のプ
ライド、自負を放棄し、自分は罪ある人間であることを認めなければならない。

救われる必要のある惨めな無力な罪人、そんな事は、到底認められない。これが
出来なくて、したくなくて、主を拒む人は多い。神の御前にへりくだる事ができ
ない。

良い事ができる自分、良い人である自分、人から良い人と思われている自分、そ
れを決して捨てたくない。自分が惨めな罪人などと、無力で愛が無いなどと、プ
ライドが許さない。

「あなたが神のようになり」とのアダムの罪以来、人間は強さを好み、強くあり
たい。決して弱さを認めたくない。

青年は主のもとを去った。「この人は多くの財産を持っていたから」。財産=自
分の力、能力、良い行ない。自分の頑張り、努力だ。罪人であると認めることは、
自分の頑張りと努力が否定され、自分が否定されることになる。

とても受け入れられない。しかし、自分の本当の姿は、頑強な自我で固まった自
己中心の、惨めで裸である無力な罪人だ。主のもとに行く時、本当の姿が照らし
出される。そしてそこでこそ、主の豊かな恵みを体験し、真の安堵と平安を得る。

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自分にとって、捨てられない「財産」は何だろう。自分の努力、プライド、人か
ら良く思われたい虚栄心、人によって様々だ。まず気づけるように、委ねて行け
るよう祈ろう。明け渡す事が出来て、解放される。自由にされ、喜びが来る。