2010年01月20日(水)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」ピリピ2:13



神は御心にかなった思いを心に授けて、「〜したい」「〜しよう」との思いを起こされる。だが、心に起きる思いがすべて神からのものではない。サタンも火矢を投げ込み、心に思いを吹き込む。自分から湧き上がって来る肉の思いもある。

では、どれが神からの思いなのか。見分けるためには、その思いについて、まずとにかく祈ることだ。自分で判断せず、まず祈りに持って行く。そして、その思いが、聖書全体の原則にかなっているかを見る。

どうであれ、御言葉に反する方向へ導かれる事は絶対に無い。目的のために手段を選ばないものも、神からではない。神は絶対に不正な方法で事をされない。神から出たものであれば、目的も手段も正しく導かれる。

それは人の徳を立て、霊的成長に役立つものか。御霊は、意味もなく人を傷つける事はされない。それをする事で誰かを傷つけるなら、それは御心ではない。又、御心の思いは、時を経ても変わらない。

気まぐれな肉の思いなら、気分次第でコロコロ変わるし、簡単に消えてしまう。特に重要な事柄であれば、よく時間をかけて祈ることだ。それではっきりしてくる。神の御心なら、その思いは変わらない。環境も沿って行く。

又、導き手に祈ってもらうと良い。御霊はひとつ、御心なら必ず一致があり、共に平安が与えられる。神からの志をしっかり受け取ったなら、即、従おう。神が成し就げられ、栄光を現される。
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思いが来ても、その中には様々な不純な要素がある。すぐに計画し動きはじめようとせず、いったんその志を主に預けてみよう。そして正しく導かれ神様からの確信を土台とした力強い実践者となろう。